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南十字に続く道(17) 


「こっちにおいでよ、順番に見ていこうか」
 ぼくは傍らに立った昌巳の肩に、そっと手をかけた。
 もう免疫でもできたのか、すっかり自然にできるようになった気がする。相変わらず、下から見上げるような昌巳の視線には、いくらかときめいてしまうけど。
「本の中じゃ、順番は『午後の授業』そして『活版所』『家』だな。どうだった、読んだ感想は?」
「ジョバンニもカムパネルラも互いに相手のことを思ってたんですね。もっと元気のいい、お話かと思ってたんですけど、なんだか悲しくて、最後とか」
 ぼくらは黙りこんだまま、展示を順番に見ていった。
 それはまるで、ぼくら二人のために延々と準備してきた――、そんな気がしてならない。
 そして、ついさっき完成したばかりの南十字の場面にぼくらは立った。
 本当は南十字を後にして次の石炭袋が二人の別れの場面なのだけど、ぼくらは南十字と石炭袋を一緒の場面として紹介することにした。実際の夜空でも、十字架のすぐ足元に真っ黒な暗黒星雲が広がっているからだ。
「最後まで、どうやってこの場面を紹介しようか、ずっと迷ってたんです」
「パネルが二枚になっちゃったからね、少女と青年たち、ジョバンニとカムパネルラの。石炭袋じゃ華がないからなあ、やっぱり無理があったな」
「別れの場面だから、読んでて辛かったです。もう暗記するくらい読みましたから」
 暗がりの中で、昌巳はぼくの顔を見つめた。
 柔らかそうな唇が、すぐ近くにある。手を伸ばすまでもなく、ほんの少し身を屈めれば、重ねられそうな、そんな距離。ぼくらは長い間、見つめあってた。
『カムパネルラ、また僕たち二人っきりになったねえ。どこまでもどこまでも一緒に行こう……』
 唐突に昌巳の口が開いた。
 それはジョパンニの台詞だってことに、ぼくはすぐに気づいた。ぼくも暗唱できるほど何度も読んでたからだ。ぼくと昌巳は声を合わせて、暗唱を続けた。
『ぼくはあのさそりのように、ほんとうにみんなの幸いのためならば、ぼくのからだなんか百ぺん灼いてもかまわない』
『うん、ぼくだってそうだ。カムパネルラの目にはきれいな涙がうかんでいました……』
 昌巳の目が小さく笑い、ため息をついた。
「だけど、カムパネルラは別れが迫っていることを知ってたんですよね。でもジョバンニは、それを知らないんだ。俺、泣いちゃいましたよ、ここで」
 ぼくは何も言わずに、昌巳を見つめていた。
 昌巳もぼくから目をそらさない。そうして再び暗唱を始めた。
『僕、もうあんな大きな闇の中だってこわくない、きっとみんなのほんとうの幸いを探しに行く。どこまでもどこまでも一緒に進んでいこう……』
 その時、ぼくは思わず昌巳の小さな身体を抱きしめていた。驚いたように見開かれた昌巳の目が、ぼくの顔を凝視している。でも離さずに――離すことができずに、ぼくは逆にもっと腕に力をこめた。
 この台詞の次に何が起きたかを知っていたからだ。
 作中のカムパネルラの姿はジョパンニの前から忽然と消えてしまう、それと同じように、昌巳の姿も消えてしまうんじゃないか――、そんな気がして怖かった、ぼくは昌巳の身体を抱きとめていたかった。
『カムパネルラ!僕たちいっしょに行こう』
 ぼくはジョバンニの最後の台詞を無我夢中のうちに叫んだ。そして――、昌巳の柔らかな唇に、自分の唇を押しつけている自分に気づいた。
 ずいぶん長い間、そうしていたような気がする。
 でもそれは、瞬きをするほどの、ほんの短い時間だったかもしれない。ぼくは腕の中で身じろぎをした昌巳の身体の感触に我にかえった。
 その瞬間、しまった――、ぼくは叫びそうになった。なんてことをしてしまったのだろう――、って。
 ひどく怯えた目をして昌巳が、ぼくを見つめていた。
 その顔を見て、ぼくは思わず腕の力を抜いた。昌巳は、ぼくの腕の中からするりと抜け出ると、一歩、二歩と後ずさる。
「ご、ごめん……、ぼくは……」
 ぼくは言葉を続けようとした。
 でもそれ以上、ぼくの口からは、なんの言葉も出てこない。後悔と焦りだけが、ぼくの頭の中で膨れ上がっていく。そんな自分をもどかしく思いながら、腕の中から逃げ出した昌巳をもう一度捕らえようとするかのように、ぼくは無意識のまま腕を差し伸べながら、一歩を踏み出した。
 たぶん、その一歩が引き金になったのだ。
 昌巳は逃げ出すようにして、ぼくの前から駆け去った。遠ざかっていく足音だけが、いつもでもぼくの耳に響いていた。

「謝ろう……」
 ぼくはノロノロと携帯を取り出した。「そうだ、謝らなくっちゃ……」
 どんな言葉で謝ればいいのか、何も頭には浮かばない。だけど、とにかく謝らなくては、その思いだけが、ぼくを突き動かしていた。昌巳の番号を探して、発信のボタンを押す。
「え?」
 その瞬間、何が起きたのか、ぼくには理解できなかった。
 ぼくの耳のすぐ横で、けたたましく音楽が鳴り響き始めたからだ。反射的にその音の元へ手を伸ばし、掴んだ。
 それは、昌巳の携帯だった。
 ぼくは全てを理解した。その場所は、ついさっきまで、昌巳が作業を続けていた場所だった。きっと携帯を机の上に置いたままだったのだろう。
 ぼくは絶望したまま、自分の携帯の電源ボタンを押した。
 たちまち静寂が戻ってくる。
 でも昌巳の姿は永久に戻らない――、そんな気がした。決して取り返しのつかないことをしてしまった、そんな自責の思いが込み上げてくる。
 見ちゃいけない、そう思いながら、ぼくは震える手で、昌巳の携帯を開いた。そこにあったのは、ぼくと昌巳の写真だ。昌巳の部屋で一緒に勉強した日、裕美さんに無理やり撮られたもの。
「なんだか……、とても懐かしいな」
 ぼくは呟き、昌巳の携帯を手の中に握りしめたまま、その場にペタンと力なく腰を下ろす。もう何もかも終わった気がして、虚ろな無気力だけがぼくを支配していた。
「そうだ、ぼくは一人には慣れてる……、これまでだって、ずっとそうだったんだから……、大丈夫だよ、きっと耐えられる……はずだ……、耐えられないわけがないんだ……」
 ぼくは自分でも気づかないまま、低く嗚咽を漏らしていた。


《続く》




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