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夜明けの風(1) 


「なんでだよ……」
 ぼくの顔を呆然と尚輝が見ていた。「同じ気持ちでいてくれてるんだ――、そう思ってたんだ、でも違ってたんだな、ごめん、おれの早合点だった」
 ひどく気落ちした様子の尚輝の顔と、自分の右手を交互に眺めてから、ぼくは足元に視線を落とすしかなかった。
 どうして手が出てしまったのか、自分でもよくわからない。今までだって人を殴る――、それが冗談半分だったとしても、そんなことは一度もしたことがなかったし。
「だって……。いきなりあんなことするから、つい……」
「……」
 尚輝は黙ったまま、何も言わない。
 ぼくら二人の間の沈黙がひどく重く感じられて息苦しい。あんなこと――、たった数分前の出来事を思い出すだけで胸の鼓動が高鳴ってくる。いきなり強く抱き寄せられ、耳元で「好きだ!」って囁かれながらキスを――、荒々しく唇を奪われてしまったのだ。
 ぼくはキスなんて初めての経験だった。
 まさか男の尚輝と――同性でファーストキスなんて……、今でもまだ信じられない気がする。でも「キス」の、たった二文字の単語を思うだけで、ぼくらの唇が重なり合った瞬間の少しかさついた唇の感触が生々しく蘇ってくる。
 それは夢なんかじゃなくて現実だ。
「びっくりしたし、だって……。そうだろ」
 ぼくは、同意を求めるように言いわけしながら、思い切って顔を上げた。尚輝のほうが背が高いから、並んで立っていると、とうしても上目遣いで見ることになってしまう。
 尚輝は、まだ少し強ばった怖い顔をして、いくらか伏目がちにぼくを見ていた。
 顔が怖かったのは、きっとまだ緊張が解けていないのだろう。いつもは白いはずの彼の頬が片方だけ赤く染まっているのは、ぼくが思わず叩いてしまったからだった。彼の頬を平手で叩いたときの高く鳴った音が、ぼくの耳にはまだ生々しく残っていたし、ぼくの手に残った衝撃の余韻も同じように生々しい。
「ごめん」
 二人の間の沈黙に耐えられなくなって、ぽつりと一言だけ、ぼくの口から言葉が漏れた。
「なんで、お前が謝るんだよ、謝らなきゃいけないのは、おれなんだぞ」
 ようやく尚輝が口を開いた。
 無理やり笑おうとしているのが、ぼくには分かった。その笑顔が作りモノめいて、ぎこちない、見ていて痛々しい感じさえする。「お前に酷いことしたんだし。それにしたって謝られるって、みじめな気持ちだな。どうしてあんなことしたんだろう、あんなことしなきゃよかった――、って思えてくる。あの時は今しかない、そう思ったのにな」
「ごめんなさい」
 ぼくはもう一度、謝っていた。
 言ってしまってから、しまったと思ったけど、もちろん手遅れだ。
 べつに当てつけで、その言葉を口にしたわけじゃない。ぼくには、それ以外に葉が見つからなかったから。
「でも絶対、悪ふざけとかじゃないからな。本当に、お前のことが好きだったんだ。片思いで終わってもいい、だけど気持ちだけは伝えたかった。だけど口で言ったって、そんなのは冗談だとしか思わないだろ、だから……」
「……」
 ぼくは力なく頷いた。
 確かにそうだと思ったからだ。いきなり好きだ――、って告られても悪い冗談としか思わなかっただろうし、何と言っても、ぼくらは男同士なのだから。それに今までは尚輝のことを仲の良い友達、そうとしか思っていなかったし。
 ぼくを見つめる尚輝の目を見ていると、ふざけているようには見えない。だからと言って、どう答えていいのか、ぼくにはよく分からない。
 反射的に手が出てしまったけど、それにしたって尚輝のことが嫌いじゃないことだけは確かだ。今、この瞬間だって、それは変わらない気はする。
「きっと嫌われちゃったよな」
 ぼくの顔から目をそらしながら、尚輝は力なく呟いた。「ごめんな――、ってどれだけ謝っても、もう遅いだろうけど」
「ううん、違う。ぼくは尚輝のことが嫌いとかじゃない。でも、すごくびっくりして、どうしていいのか今だってわからない、だって……、そうだろ、あまりに突然だったから」
 その言葉がぼくの口から漏れた瞬間、尚輝の強張った表情が幾らか緩んだように見えた。
 ぼくは手にしたままのレジ袋を思い出し、のろのろと白い袋に目を向けた。
「ねえ、そろそろ行こうよ。みんなお腹すかせて待ってるよ」
「そうだな……、そうしようか」
 尚輝が先に立って歩き出した。
 肩をおとしたまま、ひどく憔悴した様子で……。でもどうやって慰めたらいいのか、ぼくには分からない。今は何を言っても言い訳にしかならないような気がする。
 それでもようやく、ぼくらの間で凍りついて止まったままだった時間が流れ出したのは確かだった。
 今まで、ぼくら二人がいた場所は、学校の校舎の中、階段の踊り場だ。昼間の休み時間だったらザワザワと騒がしくて煩いくらいだけど、いまは夜だから二人きりだったし、ぼくらの足音が低く響く以外は何も聞えない。今夜は天文部の合宿で、ぼくら二人は夜食の買出しに行った帰りだった。


《続く》



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