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たそがれの天使たち 


「おはよ。ねえ、もう目覚めてるんでしょ」
 背中の向こうで、くすくす笑う声がする。
「……」
 でもぼくは、そんな声は聞こえないふりをしてベットに横たわったまま、仕掛けてくるのをじっと待った。案の定、ぼくの背骨を悪戯な指先が触れていく。
「ねえ、感じてる?」
 ぼくは眠ったふりを装いながら、身をよじらせて我慢する。漏れそうになる声を辛うじて呑みこみながら。
 くすくす笑う声が高くなった。
 悪戯な気持ちが昂じてきたのか、背中をいじっていた指先が脇をこえて、やがて乳首に到達する。細い指先が軽く円を描くように乳首の先っぽを刺激するから、緩やかな快感に耐えられなくなって、ぼくの喉から声が漏れてしまう。
「あうっ、カインたら……」
「ふふふ、弱いんだよね、こうされると」
「……!」
 少し悔しくて、ぼくは無言のまま向き直った。
 無邪気な笑みを浮かべたカインの顔が目に飛びこんでくる。ぼくと同じ顔がそこにある、まるで鏡でも見るように。なぜなら、ぼくらは双子なのだ。そのままの勢いでカインの肩に手をまわし、くちびるを重ねあわせる。小さく笑いながら、上下に重なり合い、何度もキスを繰り返す。
「もう少し我慢できると思ったんだけどな、ダメだった」
「さて、お仕事するか。アベルは朝ごはん、よろしくね」
 そう言いながら、するりとベットから抜け出すカイン。
 しなやかな白い裸身がまぶしい。少し寝癖のついた肩まで伸びる髪、華奢な肩、薄い胸。象牙のような肌が白い無機質な照明のなかで輝いくように見える。うっとりと眺めながら、ぼくもベットから抜け出した。

「はい、これ」
 冷たい水に満たされたコップと数粒のカプセルを手渡しながら、ぼくは微笑んだ。二人の指先が触れあった瞬間、カインと目が合ったからだ。
「ありがと」
 カインは受け取ると、無頓着にカプセルを口に放り込んだ。ぼくもカインの様子を見ながら、口に含んだままのカプセルを嚥下する。これで食事はおしまいだ。もう一日、何も食べる必要はない。もちろん水分の補給は必要なのだけど、カプセルに必要な栄養はすべて含まれている。まったく便利なものだと思う、完璧に管理された栄養元なのだから。ぼくらから排出された老廃物を取り込んでリサイクルし、顆粒状に精製し、それをカプセルとして供給し続ける。設備が壊れてしまわない限りという条件付きだけど、それは延々と続くサイクルだ。もっとも、ぼくらの消化器官は退化してしまってるから、これ以外の食物を口にすることはできないし、この限られた空間には、これ以外の食物なんて存在しないけど。
 カインは再び、コンソールに向き直った。
 彼が――別にカインだけが行うわけじゃない、ぼくが実施する場合もある――、これから行おうとしている仕事は実に単純な作業だ。ぼくらが棲む天空のはるか高みから、地上にヒトが生存している兆しがないか、それを日々、確認しているだけだから。
「ほら、見てごらん」
 手馴れた様子で、カインはコンソールを操作した。耐用期間をはるかに超過して、まだ生き残っている衛星は残り少なくなった。その一つに接続しているのだ。
 壁いっぱいに広がる映像が何度か明滅しながら切り替わり、やがて一面の薄紅色に覆われた山の情景が浮かび上がった。
「わあ、これは桜だね。ああそうか。日本は春なんだね」
「うん、今年も春がきたんだ」
 花見――、この国に、そう呼ばれる行事、習慣があったことは知っている、
 だけどこの桜の下で誰かが謡い戯れることは、おそらく永久にない。来年も、そして次の年も春が訪れ、桜は咲き乱れ続けるだろう、ただそれだけだ。
「ズームしてみるよ」
「うん」
 さすがにひとつひとつの花の様子まではわからない。
 枝ぶりまでは十分にわかるのだけど。
 ふいに風が吹いたようだった、花びらの群れが舞い上がる。
「まるで薄紅色の吹雪のようだね」
 ぼくは思わず感嘆の声を上げながら、映像に見入った。
「ここにはどんな人が暮らしていたのだろうな」
 カインが呟くのが聞こえた。ゆるやかに歌うような口調だ。「十四年前、目に見えない死の洪水が地球を覆いつくしたとき、この国の人々は静かに運命を受け入れて、従容として滅びていったんだ」
「うん、この国の廃墟はきれいなままだもの、よそと違って」
 ぼくは思い浮かべた。地表の他の場所で無残な姿を晒している廃墟の群れを。
 それは天空から眺めると赤茶けた墓標のように見えるのだ。捻じ曲がり突き出した無数の鉄骨と崩れ落ちた瓦礫の山。
 世界が災厄に覆われたとき、大半の都市は絶望した人々の自らの手で破壊され、その多くは暴徒が放った火によって焼失した。それら残骸は未だ緑に覆われることなく、頑なに無残な姿を露呈し続けることに固執しているようにさえ見える。そして最期の劫火は人類が長年にわたり営々と育んできた多くの宝をも塵芥に帰した。まるで滅びへの道連れとでも考えたように……だ。
 カインの指先が、コンソールの上で軽やかに動いた。
 薄紅色の山容から、青い宝石のような地球の姿に映像が切り替わった。
 ぼくらが棲む場所は地表上空千キロを円軌道を描いて二時間あまりで周回している軌道上構造物。それは小さな別天地、人類最後の棲息地だ。
「遥かな未来、この廃墟を掘り出すモノがいたとしたら、その違いをどう説明するのだろうね」
「ああ、そうだ。そして、ぼくらの事もね。どう思うんだろ」

 そう、ぼくらは孤児なのだ。
 災厄の年、完璧な閉鎖空間での生存実験に、ぼくらの両親は参加していた。つまりそれは、この場所だ。彼らは宇宙空間に隔離され、地上の災厄に何の手を差し伸べることもできず、地上の人々から忘れ去られたまま世界の滅びを目にしたのだ。
 そして、ぼくらが生まれた、おそらく人類で最後の子供として。
 人々は地上を覆い尽くした死に至る病の正体を知る間もなく、混乱と混沌のうちに滅びていった。それは伝説の――、地上の生き物を一掃したという洪水に似ていた。滅びを目前にした人々が口にしたように、それは神の怒りだったのかも知れない。ただし今回は誰にも箱舟は用意されなかったし、そしてヒト以外の生き物は生き残った。
 人の手を離れた地上は、徐々に楽園に戻りつつある。
 その両親も今はいない。衛星軌道からカメラを操り、地上に人の姿を必死になって探していた姿を覚えている。それが彼らの日課だった。自分たち以外にも誰か生き残っていると信じたかったに違いない。
 そして滅びてしまった故郷を見続けることが、やがて苦痛になったのだ。ある日、ぼくらに向かって哀しく微笑みながらエアロックの向こう側へ歩き去った――、ぼくらを遺したまま。
 どうして、ぼくらを遺していったのか、それはわからない。
 この狭い小世界を破壊さえすれば、結果は同じなのだから。
 そうやって歩み去れば懐かしい故郷へ帰れると思ったのだろうか。ここで生まれ育った、ぼくらには地上は無縁と思ったのかもしれない。
 答えは永久に謎のままだ。人類は既に滅びた。もちろん、ぼくらは生きている。でも幽霊みたいな存在だ。仮に、ぼくらが男女の双子であったとしても確実に未来はないのだから。袋小路の未来しかないのだ。
 もう神話の時代じゃない。
 ぼくらはカインとアベルだ、アダムとイブじゃない。もし外界から来訪者が現れたとしても、滅菌された環境に馴染んでしまった、ぼくらの身体では耐えられない、たちまち蝕まれて死を迎えるだろう。

 ぼくは沈黙に気づいた。
 換気ダクトの彼方から響いてくる、ごく低いファンの音だけが白いプラスチックで覆われた室内に鈍く響いている。カインも同じことを思っているに違いない、ぼくはそう思った。彼も思いに耽る様子で、目を伏せていたからだ。
「ねえ、鼓動の音を聞かせてよ」
 妙に人恋しい。かすかな苛立ちにも似た感情に浸りながら、ぼくは囁いた。ここでは大声を出す必要はない。怒号とは無縁な、永遠の静寂が支配する世界だから。
「ああ、いいとも」
 カインは椅子から立ち上がった。彼の白い胸に、ぼくはそっと耳をあてる。トクン、トクン……、それが生きている証し。力強く、あるいは儚げにも聞こえる不思議な音だ、それは生ある限り続く音。
 それが途切れたとき、ぼくは何を思うだろう、あるいは彼の鼓動が途切れたとき、ぼくはどうするだろう。それは明日かもしれないし、ずっと遠い未来かもしれない。
「愛しいひと……」
 ぼくは呟いた。あるいは心の中で、そう思っただけかもしれない。ぼくは耳をあてたまま、あいた手で彼の胸をそっと撫でた。愛らしい胸の小さな突起を。
「アベル、くすぐったいよ」
「やめてほしい?」
「ほしくない」
 笑いを含んだカインの甘い声が聞こえた。「ねえ、今日はどうやって過ごそうか?」
 人々は滅びた。人類は既に過去に属する存在だ。でも、ぼくたちには生を愉しむ時間がたっぷりと残されている。ぼくは応える代わりに、優しく小さな突起を口に含み、舌を這わせる。
 愛らしい喘ぎ声を聞きながら、ぼくは微笑んだ。


《終わり》






一回の掲載としては少し長めですけど、分割せずに載せてみました。最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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