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若草色の記憶(01) 


 何日か前まで僅かに残っていた桜は、どうやら昨夜の雨で全て散ってしまったらしい。
 でもそんな寂しさを忘れさせてやると言わんばかりに、街路樹の桜並木は青空の下で新緑が眩しいくらい輝いていた。既に桜の花は終わって、今は新緑――、季節は足踏みすることなく確実に流れているに違いない。
 屋根の間を吹き抜けていく風は心地いいし、陽射しは柔らかで暖かだ。
 空を見上げると、本当に春が来たんだなあ、って思う。たった二週間ほど前だけど、桜が咲いていた頃は、日中でも肌寒く感じられた程で、それほど春になった実感が湧かなかったから、今日はまさに春満開って感じがする。
「あれ? もう鯉のぼりだ」
 散歩の足を止めて、ぼくは呟いた。
 ぼくが歩いてきた道は、住宅地の中を抜けていく小道だ。
 車の通行も少なくて、排気ガスが煙くないから散歩するにはちょうどいい。ぼくの家もその住宅街の一角にあったから、どの家の人も大抵は顔見知り程度には知っている。その家はずっと長い間、空き家だったから、きっと新しい人が越してきたのだ。あまりジロジロ見るのも失礼だよな――、そう思ったけど、目新しさも手伝って、庭先や、カーテンが風に揺れている窓の向こうまで、つい見てしまう。
 この辺りの家は狭い区画がびっしり並んだ建て売りの住宅地だったから、どこもそうだけど、それほど広い庭じゃない。その庭の中ほどに二階の屋根にやっと届く程度の鈍い銀色のポールが立っていた。そのポールに相応しい大きさの、幾らか小さめの鯉のぼりが春の風の中に泳いでいた。てっぺんには、クルクル回る金色の風車みたいなモノがついていて、うるさいくらいの音を響かせて回っている。
「鯉のぼりなんだから、きっと男の子がいるんだろうな、この家には」
 そんな独り言を呟きながら眺めていると、まるでタイミングを合わせたように、家の中から幼稚園くらいの男の子と、その子供に手を引かれた、きっとお父さんらしい男性が家の中から出てきたのだ。
 さすがに今までは誰もいなかったから、ぼんやりと庭先を眺めていられたけど、そこに人の姿があれば、そういう訳にもいかない。なんとなく気恥ずかしさに似たものを感じながら、ぼくは立ち止まっていたことを唐突に思い出して、再び歩き出す。
「そういえば」
 ぼくは背中でカラカラと音を響かせている風車の音を感じながら、小さく呟いた。「うん、そうだ、ちょうど今頃だった」
 ぼくが思い出したもの――、それは野崎聡と初めて出会った時のことだ。
 あの時も今みたいに散歩の途中だった。でも、ぼくはまだ小さな子供で、あの家の中から出てきた子供くらいの頃だ。父さんに手を引かれて、今と似たような景色の路地を歩いていた。
 時刻は夕方、夕焼けに空は染まっていたと思う。でもまだ夕ご飯には時間があって、それじゃ散歩にでも行くか――、そんな父さんの一言で、ぼくらは一緒に家を出たのだ。
 あの時、本当は散歩なんて行きたくなかった。
 お気に入りの見たいアニメがあったから、行くのはヤだっ!、そう言って駄々をこね、父さんに文句を言ったのを憶えている。でも母さんは夕ご飯の準備の最中だったし、父さんは今もそうだけど散歩好きだったから、小さなぼく一人が家の中をウロウロしている訳にもいかなかったのだろう。宥められて渋々、ふくれっ面をしながら、ぼくは父に手を引かれて歩いていたのだ。でも、もしあの抗議が認められていたら――、ぼくは聡と会えなかったかもしれない。だとしたら父さんには感謝しなくちゃいけないかな、なんて思えてしまい、ぼくは苦笑いした。
 今はすっかり景色に馴染んでしまったこの住宅地だけど、あの時はまだ出来たばかりで、並んでる家の壁も真新しくて、まだあちこちに空き地もあったと思う。
『また引越しなんだな』
 そう言った父さんの視線の先には、一台の大きなトラックが停まっていた。まだ作業が終わってない様子で、作業服姿の人が何人も忙しそうにしている。その家の入り口の脇に、ちょうどぼくと同じくらいの男の子と、その傍らには、その子供の父さんらしい姿が佇んでいた。
『ここの住宅地の方ですか?』
 ぼくらが近づいていくと、そのお父さんらしい人は、話しかけてきた。
『はい、篠原といいます、家はもう少し向こうなんですが』
『うちと同じような年頃のお子さんがいらっしゃるんですね、野崎といいます、わからないはことばかりなので、よろしくお願いします』
『こちらこそ……』
 そんな大人の会話が始まってしまい、ぼくは急に退屈になった。
 実は、あと二十メートルも行かない先に小さな公園があって、ぼくらはそこを目指していたのだ。でも立ち止まったままで大人たちは会話が弾んでしまい、ぼくは恨めしげに父さんの顔を見上げた。
『ねえ、先に行っててもいい?』
『もう少しだから』
 父さんは宥めるように言い、そして野崎のおじさんに向き直った。『この先に公園があって……』
『僕も行きたい』
 それが始めて聞いた聡の声だ。
 ぼくの耳に心地よく響いた声に驚いて、ぼくは改めて聡の顔を見た。ほんの少しだけ、ぼく方が背が高い気がする。ぼくが向けていた視線に気づいたのだろう、聡は小さく笑って目配せした。『ね、一緒に行こうよ』
『ねえ、お父さん』
 ぼくはもう一度、父さんの顔を見上げた。そして野崎のおじさんの顔も。
 大人たちが頷いたのを見て、ぼくら二人は駆け出したのだ。

《続く》


※この作品は以前に別名義で書いたものを転載してます。



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